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サジェク襲撃事件レポート



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リストマーク バングラデシュの少数民族 リストマーク




 バングラデシュ。大河ガンジスによる巨大で肥沃なデルタ地帯が大部分を占める農業国であり、アジアの最貧国の一つです。人口1億4000万の実に99%がアーリア系のベンガル人です。人口密度は世界一。彼らの宗教はイスラームです。

 しかし首都ダッカから南東へおよそ250km進むと、景色は一変し、そこには丘陵地帯がひろがります。ビルマ(ミャンマー)とインドに接するここは、チッタゴン丘陵地(CHT)です。



 ここには「ジュマ」と呼ばれるモンゴロイド系のおよそ11の少数民族が暮らしています。その人口は僅か50万人です。
 ジュマとは「焼き畑をする人」という意味が指し示すとおり、丘陵地帯での焼き畑農業の伝統文化を持ち、斜面をうまく活用しながら生活しています。また多くの人が上座部仏教徒です。

 現在CHTには、ジュマの人口と同じほどのベンガル人が移住し、土地の収奪がつづいています。



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リストマーク ジュマのおかれた現状 リストマーク




 かつてCHTにはいくつかの王国が存在していましたが、18世紀にムガール帝国や大英帝国がこの地域を戦争により占領しました。しかし納税をさせることによってある程度の自治を認めていました。

 1947年、この地域はインドから独立したパキスタンの一部として、東パキスタンとなりました。そのころから徐々に権利や文化を国家から否定されるようになりました。

 1971年、東パキスタンは独立し、ベンガル人の国「バングラデシュ人民共和国」が誕生。どこの国でも少数民族の置かれる状況は過酷ですが、ジュマへの迫害も独立後ますますひどくなり、多くのジュマの人々がベンガル人によって、殺害・土地収奪・レイプという被害を被るようになりました。

 1976年から、ジュマによるゲリラ組織シャンティ・バヒニと政府軍が武力衝突。以降、多くの犠牲が払われました。

 1997年、政府とジュマの間に和平協定が結ばれ、ゲリラ組織は武装解除しました。しかし政府は協定内容を実施せず、ジュマは相変わらずベンガル人による襲撃問題に直面しています。



 2003年8月26日、カグラチョリ県マハルチャリ村はベンガル人による襲撃を受けました。2名の死者と多数の負傷者、10人の女性がレイプされ、少女2人が誘拐されたまま行方不明。400軒の家が破壊され火をつけられ、物品が略奪されました。4つの仏教寺院が破壊され、仏像が荒らされ、僧侶も暴行を受けました。
 これらの暴力行為が行われている間、軍関係者は襲撃場所で暴力行為を煽り、また自ら暴力を振るったものも多数いました。

 2008年4月20日、インド国境近くのランガマティ県サジェク村で襲撃事件が発生。8つの村のジュマ住民150〜200世帯が被害を受け、77軒が全焼。避難民は、現在も森の中で着の身着のままの生活を送っています。
 100名以上の暴徒の中には兵士が混じっていたことも目撃されています。



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焦土と化したサジェクの村々
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